コラム更新です。
アモールエスペランザのセッションやHPでは例え話を
使っているのでつかみにくい所があるかと思います。
あなたの世界なんてどうでもよい!
なんてご意見をいただくかもしれませんね。(笑)
今回はなぜたとえ話なのか?たとえ話を含めお話したいと思います。
すでにたとえ話になっているのが笑える所でもありますが、
今回はたとえ話についてお話して行きます。(笑)
なぜたとえ話か?
一言に言ってしまうと言葉では限界があると言うことです。
ひとつのフィーリングが浮かんだ時、言葉に置き換えるのに困難な場合があります。
言葉にしやすいものや言葉に出来ないと言うか、なんともいえないものがあります。
食べ物を試食した時、他の人に伝える言葉が出にくい時もそれにあたると思います。
どうだった?と友達に聞かれ、微妙~なんて答えている時、
そういう感覚かもしれません。(笑)
その感覚自体、経験、体験している場合はよいのですが
経験、体験してい無い場合や経験、体験してい無い人に
経験や体験を伝える場合
伝えること自体艱難になるのは皆様もご存知の事と思います。
上記でお話した事がセッションでも起きているということになります。
それを説明するのが私の仕事でもありますがこれがなかなかむずかしい~
よくお話しすることが、車や自転車を運転する時、
車や自転車を運転することは出来ても
信号が赤になった時、どの位でブレーキを踏むかなど人によって
まちまちですし速度によっても変わります。
ただブレーキを踏めば(握れば)とまると言ってもその感覚を人に伝えるのは
不可能に近いことです。
ブレーキを踏めば(握れば)とまると言うご自身の感覚が
ブレーキの必要性を理解することになるのです。
人によって感覚はまちまちですが
「ブレーキを踏めば(握れば)とまると言うのはあくまでもたとえです。」
その感覚が色々なものの理解につながります。
そしてその感覚が集合意識をつくりだしていると言うことも付け加えておきます。
禅のマスターは弟子に物事を伝えるのにたとえ話を使っていたと言われています。
時には無言での教えもしていたとも言われています。
私はマスターでも何でもありませんがたとえ話の独特さ深みには深い共感を感じます。
深いから、判らないから、と言うのではなくその言葉自体に言葉ではわからない、
語られ得ない深い配慮が隠されているからです。
これは皆様へのメッセージでありますがわからないことがあっても
あきらめないでほしいと言うことです。
わからない時、答えが見つからない時、忍耐強く待つことで
発見、理解出来たりします。
必ずしも時間がかると言うわけではありません。
すぐ答えがわかる場合もあります。
本や人々の会話、インターネットなどで情報を得たり気づいたり
インスピレーション、フィーリングで理解したりさまざまです。
「知識」ばかり頼ってはいけない部分もありますが、精神世界などが好きな方には
ガイドとつながりをもつ部分「勉強」ではよい刺激になるかもしれません。
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