おもったこと久々の更新です。
毎回月日が経ってしまいがちですが決してサボっている訳ではなく
マイペースと言うことで。(笑)
本当はネタが続きません。(暴)
今後ともおもったことのお付き合いよろしくお願い致します。
今回は「白と黒」のお話です。
「白と黒」って何?と思われるのも当然ですからか簡単に
ご説明いたします。
「白と黒」と言うのは今回のおもったこと(6)でお話するたとえ話です。
たとえば「白と黒」とは色で言う「白と黒」やオセロの「白と黒」など
色々な「白と黒」が存在します。
また
話に「白と黒」つけるとか、つけろ!なども「白と黒」を
象徴する言葉でもある訳です。
今回は上記でもお話いたしましたが「白と黒」を象徴するところをたとえて
お話したいと思います。
白にも黒にも色々なイメージってありますよね
単純に白は明るくて黒は暗い
しかしイメージと言うのはとても奥が深いものです。
私が良く口にしている言葉があります。
これは忘れましたがどこかの本か雑誌で見ました。
時代劇とは悪役の人がいて初めて正義の味方が映えると言うことです。
「少し強引かもしれませんが白と黒で解釈できると思います」
これは社会ではそうは行きませんが時代劇やドラマの中ならでは
のお話、構成です。
皆様の中には社会もそうだ!と言う方もいらっしゃると思いますが
その様な象徴、「事」に取り組んで行くにはさらなる気づきや洞察が
必要とされます。
しかしドラマや構成と言った話の中でもこの人は悪い、良い
カッコいい、ムカツクなどテレビに向かって判断している自分自身に
気がついたことはないでしょうか?
その気がつくと言うことは
それが悪いわけではなくむしろその逆なのです。
「決してテレビを見るなとか、テレビの悪口を言っているのではありません
私自身テレビは見ますし内容によっては感動し感激することもあります。」
お話したいポイントは、気がつく「意識的になる」ことです。
日常の生活、会社や学校やパートナーの関係などで
ドラマではない現実、気がつく「意識的になること」が
自分自身が相手「他の人」のドラマに入らず暖かく見守る
ことに繋がってくると思います。
それにはいろいろありますが他の人に傷つけられたと思ってしまった
時などにもあてはまります。
ここまでくるとお話が難しくなるかもしれませんが
自分自身の中で「白と黒」つけるということは
ポジティブにもネガティブにも繋がると言うことです。
以前のおもったことで価値判断についてふれていると思います。
そして
私自身ここでお話していることも「白と黒」の一つになってしまいます。
これをどう「白と黒」つけるかはこれをご覧になっている方により異なります。
たとえば
このお話を中立に取ってみてはいかがでしょうか?
中立って何?
と思う方もいらっしゃると思うのですが
簡単に言ってしまえば良いものも、悪いものもないと言うことです。
一概には言えないと思いますが
「割り切れないかも知れません」
白色、黒色を混ぜて見たらどうなるでしょうか?
ペンキでも絵の具でもかまいません。
混ぜ合わさった色はグレーになると思います。
グレーの中には白と黒が共存していることになります。
あとは白が多いか少ないか、黒が多いか少ないかの
ご自身の判断になる訳です。
グレーその物を判断したとしても「またまた」
ご自身の判断になる訳です。
「判断することがいけない訳でもありません」
良いものも、悪いものもないと言うお話も上記でお話しましたが
象徴、「事」に取り組んで行くにはさらなる気づきや洞察が
必要とされます。
(はっきり言って難しいです、苦笑)
そんな簡単ではない所も人生の深みではないのでしょうか?
また楽しいところでもあります。
なんだかどっちにもつかない曖昧な感じに取れてしまう
かも知れませんが、芯がない訳ではありません。
曖昧な芯とでも言えば良いのでしょうか。(笑)
言葉では限界です。(笑)
話は変わりますが
どうか一つ実験にご協力ください。
このお話をお聞きになって(ご覧になって)あなたはどう思ったでしょうか?
自分自身を意識的に見てみます。
良いと思ったでしょうか?悪いとおもったでしょうか?
それとも何にも「何とも」思わないでしょうか?
何かご自身で思うことがあれば判断に繋がります。
良いも悪いも一つの判断ですよね。
何にも「何とも」思わないと思った場合、
何にも「何とも」思わないと思っていたら
何にも「何とも」思わないと思う一つの判断
「白と黒」つけることに繋がります。
ようは、何にも「何とも」思わないと思うことを選択しているかもしれません。
たとえばお決まりですが、良くカウンセリングなどで頑張らなくても良い
と言う言葉を耳にします。
確かに頑張らなくても良いと言うことは正論なのですが
何を頑張って
何を頑張らなくてはいけないのでしょうか?
また頑張らなくても良いと言うことは何もしなくても良いと言うことでしょうか?
「私自身この言葉を使う時もありますが」
大変深い問題です。
なぜなら話す人も、聞く人も一人一人違うからです。
言葉のレベルに限界があると私は考えております。
これは引っ掛け問題でも無く、理屈屋になれと言っている
のでも無く
日常の意識において生活していくうえでの大切なツール
になると考えているからです。
気がつく「意識的」になると言うことは自分自身の
スペースにさらに広がりを持たせることにつながります。
気がつく「意識的」になってみてはいかがですか!
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